昭和45年11月09日 夜の御理解



 下がっとりましたら、( ? )おうて話を聞いて頂きたいとと言うね、参って見えられた。お会いしてから話を聞かして頂きましたら、矢張りその家庭の、人間関係なんです。息子さん大変嫁さんを貰うまでは、とてもいい息子さんだったのが、嫁さんを貰われる子供が一人、そして二人とこう出来て参りますと、嫁さんの方に言わば重きを置く様になり、親を蔑ろにする様になり。まあ世間一般である結局親子喧嘩になって。
 昨日、お父さんがもうとうとう、お前の様なやつは出て行けち、言う様な事にまでなってんならば、あそのお店を何軒も持っておられます。どの店を俺にくれるかと言った様な事にまで進展しておる。まあ私しはもう中でどうしていいやら解らん、と言うて今日は参ってみえられたんですよね。けれどもあのもう言い争いをする時からなにから、もうどうもやっぱりあの、こうやってお縋りする所がありますから。
 金光様金光様ち言うちからその、心の中でお願いさして頂いてこういう結果になっておりますと、こういう事です。とその事を聞かせて頂いておりましたらあの、なんちゅうですかね、梅を図案化したような、丁度あのこぼれ梅とでもいう様な感じで、梅の花を点々とね、なんともいえん、その図案化した梅を頂きましてから、ま今朝からの御理解に聞いて貰った訳ですけれども。
 とにかくだからそういう時に桜の花的にぱぁっと。例えばんなら片付けてしまうとか 言うてしまうとか、散ってしまう。いかにもさっぱりするようだけれどもそれではいけん。ここがやっぱり親がもう一辛抱する所であって、しかも又?(で)も言われる様に金光様金光様て、そうなって行きよるなら、間違いがないですよと。しかもとにかくね、もうあなたが心に金光様を唱えてからの事ならばね、それが見よってご覧なさい、素晴らしい楽しい事になってくる。
 丁度その 梅の花の図案を見るようにね、模様を見る様にそのうすば却ってなら雨降って地固まると言った様な事を一般で言うが、まぁ雨降って地固まるような事ではない。却って普通ではでけない事が出来て来る様なお繰り合わせ頂くから、まあここはいっちょ金光様金光様でまあ、辛抱なさらにゃいけませんよというて、お話した事ですけれども。お互いがその日々の生活の中に、矢張り親子でも兄弟でもです、おんなじ事ですが、まぁ何人ものおってのいる家庭構成と言った様なの中にですね。
 矢張り目に余る様な事もありますよねお互い。ただそげなこっでよかのち言いたい時もありますよね。けどもさぁそこが辛抱。辛抱だけじゃない梅の花。ね、今朝の御理解のように、土の様な信心というのですから、もうおかげにならない筈がないですね。それを金光様でこう辛抱させて貰う所に、心が肥えない筈がない。心が肥えれば良い物が出来てくる事も、こりゃもう勿論の事なのであります。
 どうぞ一つお互いが日常、特に人間関係の上においてですね、そういう時にはもうとにかく言うちゃならん。矢張り心を神様に向けて、それこそ梅の花の図案でも見る様な気持ちで、是がおかげの元になるんだと、楽しゅうそこを一つ辛抱させて頂く稽古をさせて頂いたら、ね、様々な人間関係の中にあっても、又別な意味で楽しい有り難い事になるだろうとこう思いますね。なるほどその大地が肥えていく事は間違いない。それが根肥しになりますですからね。
   どうぞ。